ボダといっても様々で。ボダのボダ被害

前回までのようにボダ被害者とはただのボダである可能性も高い。
思い出したが私も被害的なものがあった。金を貸したら期日に返さなかったから二度と連絡しないでくれというと数年後に連絡してきたというパターン。

『逢って謝りたい』直訳すると謝って自分だけが楽になりたいということなのだろう。約束を破られ人づてに無理に連絡された私は傷ついたがそれは伝えず

『お金もいいし、もう本当に連絡しないで』と伝えたきりなのだがオブラートに包んだので伝わったか不明である。

本当に一切接触してこないか、自宅に書留でお金を送って連絡しないのが無言の謝り方だと私は思うため謝りたいと言われても反省してると思えなかった。二度と関わりたくない。
まるでボダ被害者の言い分である。私がボダなのに。

まぁ私がボダだから身から出た錆びというやつだし類友を呼ぶのだろう。中学の時からの友達には猫被り続けていられるのは

私が本当に治りにくいボダだからだと思う。神経症水準で過剰適応型に当てはまる
周りに合わせてヘトヘトになっていることも多い。

このタイプの予後が良いというのは嘘だろう。ある程度適応しているのはそれが上限であり、もう本人はいっぱいいっぱいなのだ。

職場でもいい人使える人でいようとするため、仕事依存という形の自傷もあったし結局身体を壊し長続きしない。

今も寝不足でも旦那に合わせて出かけて、外出先で限界がきて実は寝不足できついから早く帰りたいとなってしまうこともある。その時に空気を読んでしまい言いたいことが言えない。断れないために後々つまずく。(DBTのアサーションを学んでも空気を読んでしまう、相手が楽しそうにしていると感情を合わせようとしてしまう。旦那は素直に食べたくないとか言える人でうらやましい。)

カメレオンのように周りに合わせて変わると何かの本に書いてあった。私は人間だからそんなのをこなせてるわけもなく日々消耗している。

ボダで本当に治ったと言えるのはリネハンくらいなのだろう。私は治ったら病んでる人間とあまり関わりたくない。つまりまだ病気を意識してる段階だ。

だが彼女は自分が退院するとき『必ずこの場所に戻ってくると誓ったのです』(患者としてではなく)

この時点で意思があり自我がありボダだけど精神病水準だから対人障害がなく治る素質があったと分かる。 他人に私には意思がないと彼女と同じ年齢の時に言われている。

ネットで活動してるボダも治ったといいながらボダらしい長文ブログ続けてるか、ブログやHP放棄かで治った感じはしないし…。

多分治ったとか意識しないところに治った瞬間はあるのかも知れない