知り合いの客観的な本物ACの話をフェイク混ぜて書かせてもらう

彼女たちはACという言葉も知らないし自認していないが普通の社会人だった。(私が今までの職場であった人達)もちろん私はACという概念を彼女達に告げて人生の足を引っ張っていない。もちろん彼女達が自ら生い立ちを語ったわけでもなくたまたまそういう話になっただけだ。

一人目
ギャンブル&アルコール依存の親で暴力の後遺症で肉体労働は難しいようだが普通に立ち仕事をして、親の面倒も見ながら子育てもしている女性。

二人目
アルコール依存と暴力の親元で育ち会社員をしていたが、店をやる人がいなくなり親の店を継ぐ。尋ねたところお客さんと従業員のために店を継いだとか。こちらは男性。

二人の共通点は自分を可哀想な被害者とも思ってなくて責任感がある普通のきちんとした社会人にしか見えないということだ。見えるだけではなく中身も普通で

幸せそうな育ちの人にはわかってもらえないなどという嫉妬からくる悲愴感もなく、重い影もなく、ただ頑張って生きてるということだってこと。

癒されるとか癒されないとか救われるとか救われないとかそんなことにはこだわりがないようだ。

多分毒親本を手に取る人は現実がうまく行かず手に取るのが真実なのだろう。

手に取らない本物の客観的ACは今が忙しくて充実しててグダグダ私はアダルトチルドレンって嘆いてられないんだよね。

元々のアダルトチルドレンってアルコール依存の親元で育った子供がソーシャルワーカー命名された概念だから、自認するタイプのものは商業利用されてるやつね。というかAC業者の自覚するものだからという言い訳は酷いし、気づかないACも酷いな。

それにもしアフリカの子ども達に翻訳した毒親本とか見せても「僕はもう水汲みにいく時間だから時間がなくてごめんね」とか言って相手にされなさそう。

っていうかAC概念に飛び付く人は歴史を知らないんだと思う。昔は家が貧しけりゃ女の子は今でいう風俗に売られたっきり。

その子達は梅毒にかかってもそこで生きるしかなかった。現実を受け入れて生きてた。

毒親本で理想の親というありもしない幻想にしがみつくから狂ってくんだよね。もう単にアダルトチルドレンじゃなく精神的に子どもなだけじゃん。