よく毒親を捨てたというが、本物は色々な意味で捨てれない

そもそも毒親理論は遺伝無視の疑似科学なので苦手だが。毒親を捨てたというひとはたいした毒じゃないんだよ。

私の知り合いにパチ依存で、子供の携帯から子供の知り合いに連絡し金を借りる親を持った子がいる。たぶん彼女は「自分の信頼がなくなる」と言いながら他人様に迷惑がかからないように縁は切らないんだと思う。
縁を切るということはようは「親が借金したのも親の問題だから私には責任がとれない」と彼女の携帯に登録されてる人たちに告げることだからだ。
(縁を切るということは本人の責任は本人にとらせなければいけない。つまり彼女の築いた人間関係は無くなるということ)

私も同じ理由で未だに連絡をとり続けている。
「ボダ被害」という言葉は知らない母がボダ被害のようなことを延々と語る時期がある。
たぶんね、客観的に話を聞いてると、お互い「ボダ被害」って言葉を知らなくても「最低な人間にあった、酷い目にあった、私が優しいのがいけないのだろう」と思ってると思う。話を聞くと。
そう、私と距離が空いてる一瞬に目にも止まらぬ早さで境界にひっかかるんだよ…(最初はお友達が出来たのとウキウキしてるとこから必ず始まって不平不満から私への電話時間が増える)
距離感が近い境界傾向が強い者同士のいざこざだから。(うちの両親が結婚したのは境界祖母同士が仲良かった短い間に見合いで結婚したんだ…なんて迷惑な話だ。境界同士はリネハンの治療現場以外では犬猿の仲なのに。)

類は友を呼ぶ、境界は境界を引き寄せる。目には目を境界には境界を。
これが実は健常者が安全に暮らせる理由のひとつだ。