貧困叩きするなら、いっそ優性学を復活させてくれないか。

貧困層は努力が足りない・計画性がない(中略)とか言われるが
優性学があれば少なくとも私は精神障害のため繁殖しないようにされるはず、どちらにせよ子供生まないが
(ナチスの優性学は知らないのでパスするが、自己責任・努力と見せかけた生まれつきの能力主義は優性学と何ら変わりない。判断する基準が多少違うだけで。)

今現在社会階層が高いひとは少なくとも反対する理由はないはずだ。それとも現代のえた非人が消えて自分がえた非人に落ちる可能性が嫌で反対するか?
それとも倫理的にー、多様性がー、人としてーで反対するなら
計画性がなく努力が足りないが娯楽に消費してばかりの貧困層を憂さ晴らしで叩きストレス解消に使うのはやめたらどうだろう。
合法脱税可能レベルの超富裕層は最下層のあり方を気にしてないというか、むしろ自称中間富裕層にも先行き考えずに消費しまくって欲しいと思ってると思うんだが…。(じゃなきゃ市場で限られた数しか出回せないお金搾り取れないし、超富裕層も悪い意味で今しか生きてないんだよね。「今を生きる」っていいことばかりじゃない。刹那的になることでもある。必ず物事にはデメリットがある。)

自称中間層富裕層が税金が高いし貧困層は優遇されてると嘆くが、超富裕層にとっての顧客は後先考えずに消費する大量の貧困層なんだよね。
(マイルドヤンキーとかマーケティングに使うには微妙な名前で分類されてるのは下手過ぎる気がするが)
給料上げても一度不況を経験した国は溜め込んで消費に回さない傾向が生まれるから搾り取れない。だから自称中間富裕層(全然関係ない本で見た年収9000万以下全てとしよう、超富裕層はくどいようだが複数不労所得がある資産家か大企業経営陣で)に浪費と消費の区別がつかないと叩かれる貧困層に再分配するのは当然な流れで。
超富裕層は他人に消費と浪費の区別をして貰っては困るのだ。

よく絵にかいたダメ貧困層がマスコミ関連に取り上げられるのは自称中間富裕層に憎悪の対象を下に向けたいだけなんじゃないか。数で結託する隙を与えないというか。まぁ労働環境の悪化もセットだからそんな余力は皆ないが。

ナチスのやったことも、自己責任と努力と見せかけた能力主義で気晴らしに叩くのもさほど変わらない。消費の駒やサンドバッグとしてだけ生かすのとガス室なら後者のほうが苦しみは一瞬だし、自己責任と責められることもない。

「はじめにナチス社会主義者に襲いかかったが、私は社会主義者ではないので声をあげなかった
次にナチス労働組合に襲いかかったが、私は労働組合ではないので声をあげなかった
次にナチスユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではないので声をあげなかった
そしてナチスが私を襲いかかった時に私のために声をあげてくれる者は(皆既に収容された意で)誰もいなかった。」
だいたいこんな感じの言葉をナチス下での聖職者が残してた気がする。聖職者は自称中間富裕層でないことを祈る。