差別と差別化は違うのでは。排他性と愛とは裏表一体で切り離せない。

愛情ホルモンオキシトシン鼻スプレーが自閉症境界例にも効果ありといわれています。ただ日本では個人輸入しか手に入りません。

浮気を防いでくれたりするオキシトシンは万能薬?かと思いがちですが、ひとつだけ愛情と切っても切り離せないデメリットがあります。
それは排他性です。というか排他性がないと愛情もないんです。

私は愛着障害理論は支持してませんが分かりやすいので例に出します。
虐待やネグレクト?で逆に誰にでもフレンドリーに接してしまう子がいるようですが、誰にでも愛着行動を示すのは裏を返せば誰も愛せないのと同じらしいのです。

つまり凄く人情深いひとがいても道路でいきなり困ってるからお金を貸してくれといってきた初対面の人には貸さないで、身内とみなした人間に貸そうとするんです。

うーんとわかりにくかったのでもうひとつ、あなたのパートナーが異性の悩み相談を聞いているのを知って、パートナーは人格的に優れていて自慢だって人は少ないんじゃないでしょうか?(又は親御さんでもいいです)
むしろ下手したらパートナーや家族との間に亀裂を産みかねないことをしてますよね?

愛着とは一言でいえば贔屓する、特別扱いすることです。贔屓や特別扱いは他の比較対象があって初めて成立します。
他の特別扱いしない人や贔屓しない人に対しては差別化して排他性が働いてるから「あなたにだけ特別感」が成立するんです。
差別と差別化は違いますよね?

排他性を受けた人はいじめや差別と捉えるかもしれません。凄く難しい問題です。だけど、使えるお金の額が決まってたら自分が使いたいところか使わざるをえないところに使いますよね?

それと同じで使える愛情の量が決まってたら自分が使いたい人か使わざるをえない人に使いませんか?

それは人としていけないことでしょうか?間違えているんでしょうか?誰が判断していいんでしょうか?
多分人間が誰に対しても同じ行動をするようになったら色々な意味で世の常は今より壊れると思います。