精神障害者差別の本質

最近発達障害は脳の障害だからとやたらと書かれているサイト?をみました。
境界例も詳しくは本を捨ててしまいましたがセロトニンドーパミンノルアドレナリンの異常や扁桃体が平均より小さいとなど脳に異常があるし、【聖和書店こころのりんしょうアラカルト・ボーダーライン特集だったような】
それこそ統合失調症も脳の障害なので、やたらに脳の障害を主張するのはかえって印象が悪くなると思います。
それは同じに見られるからではなく(元々精神病は、基本的には健常者にはメンタル弱いというひとくくりで同じにしか見られません、後で説明しますが)

症状は他人からみたら精神面にしか現れないのに脳疾患と言われて理解出来るというか納得する人間はいないんですよ。(脳梗塞などは血管等のハード面損傷だったりするので全身に症状が現れますよね)空気を読んで会話を合わせてくれる人はいるでしょうがね。

私も境界例が脳に異常があるのが広まればいいと思いましたが、これは声高々に主張すればするほど、治す気がなく周りが理解して受け入れろという風に健常者には捉えられます。

なぜかというと私も発病前は健常者かつ新自由主義者でそう考えていたからです。(というかそもそも精神科なんて普通はかからないから知らないという軽い認識しかないんです)

他の病と一緒にされたくない・正しく理解してほしいって考えがそもそも精神病的なのです。医師が本人告知は受け入れられやすいうつや発達障害にしてしまうのも誤解を産むからやめろというのもワガママです。医師の気持ちや他の患者の気持ちを理解しようとはしない時点でワガママでしかないです【精神科にいったことないのに自らアスペとか受け入れやすそうな病名乗る通院歴ない人はまた別として】


健常者はわかりあえないこともあることを認識してるからこそ途中で話を合わせて諦めようとするところを、理解しろ理解しろと通すからです。【そういう意味だと老若男女問わず精神病的な人が増えた】

人間は群れを守るため異質な人間を排除する性質が元々あるので、精神病に理解がないし避けようとするのは実は当たり前のことなんです。異質かどうかでいったら異質ですから。

差別をなくそうが無理なんですよ。差別じゃなくて異質という危険を無意識で避ける本能なのですから。
具体的な用語は避けますが、差別をなくそう差別をなくそうで自分たちで差別を継続させてる人達と似たようにしか捉えられません。

【わかって貰おう】じゃなく、【自分が解ろう】でないと半永久的に精神病から抜け出せません。わかって貰おうは相手をコントロールすることで、自分がわかろうは自分をコントロールすることだからです。他人の主導権を握ろうとすることはそもそも健康な人間のやることではないんです。【今の日本には半数以上いるけど】

泣いてる私に対し『誰もわかってくれないと思っていませんか?ならせめて自分が自分がわかってあげないと』by精神療法が出来る主治医
色々な治療法一通り調べましたが毒親本みたいに被害者意識を新たに植え付けさせ恨みを作り出した上で甘く依存させるような内容でなく、
精神的に自立させる+生活習慣を変えさせるスパルタなものばかりでした、本質的に治す治療法は自分が変わり、理解し皆に合わせられる側になるということが【治る】ということの本質です。それが正しいかの答えは実は誰も知りません。今現在病気とされてるもの全ては人間が異常認定したものばかりです。
ねこ目線でみたら一流スポーツ選手と統合失調症患者もただの他の動物でしかないかもしれませんし、そもそも認識されてるかわかりません。

精神疾患が理解されないのを理解する』までいかないと治る道のりは困難なものになるでしょう。