…アドラーが埋もれてきた理由を独断と偏見で毒を吐きながら…補足など

前ブログのアドラー記事にコメント下さった方に届くかわかりませんが、コメントありがとうございました。前ブログにログイン出来ないので返信的なもの出来ずにすみません。

アドラー本が結果的に合わない必要としないのにたまたま知って読んでしまった人も他にもいると思います。既にブーム性のものとして消費され切った気もしますが、私もアドラーが合わなかった1人として再度書きます。

アドラーは「逆転な発想」的な考え方のひとつであり極論なので適応出来るケースが限られ、考え方だけなので解決的な具体策が欠けていると思います。

(合う人にはいいかもしれないが、考え方が変わるだけなので行動面に影響が及ぶかというと大多数の人には難しい気がします)
(行動→内面はリネハンの行動療法があるのですが、これもこれできっついですがアドラーよりは具体的な大量の事細かな指示もあり500ページほど荷造りしたため今確認出来ませんが。基本境界治療用なので一般の方はスルーで。)

アドラーもスルーしてokだと思います。Amazonに「この本に共感出来なくても自分を責めないで」的な親切なレビューがあった気がしますが、私も近い感じかな。

私は、アドラーを学ぶ講座のようなもの(?)があるのに、精神科医が臨床現場で患者に勧めないのが全ての答えかなとも思います。
某嫌われる勇気の著者経歴もWikipediaなので合ってるかわかりませんが精神科勤務は一ヶ所で臨床やってたか明記されておらず、他は教育機関の先生みたいな(つまり相手は多感な時期で葛藤は多いが、心が健康よりな可能性が高いであろう学生)のも

このように、アドラーは心理学や精神医学というより教育分野にシンクロ性が高いのではないかと思うんですよね。

まぁ病んでから治療より教育段階で介入するほうがフロイト精神分析(一回1時間だかを週4日だっけ?)よりは効率いいかもしれませんが、

アドラーアドラー派の皆さんはアドラーを紹介するときに、これだけ時間をかけて患者と向き合ったフロイトや、向き合って精神分析の結果として今日の境界例に当たる概念を発見するきっかけを作ったフロイト派の批判はやめて欲しいと願います。
聞く人によっては(私のことですが)アドラーアドラー派の印象が悪くなるだけだと思うのですがね。