個人の問題?社会の問題?それともどちらも?

1984冬生まれの31歳ですがおそらく当時(適当に景気が良い1970〜1984年とします、間違いがあるかもしれませんが便宜上)ならば

「正社員になれないし、仕事が続かないことや不登校」は「本人に問題がある」としても差し支えなく異論なしだったでしょう。

みんなほとんど学校出て就職してて、好きでフリーターをやってるのはバンドデビューしたい等の積極的目的がある人だったかもしれませんし極少数。ですが、より自己責任と言えるこの時代のフリーターに不思議なことにおそらくこの時代に「自己責任」という言葉が向けられるのは一般的ではなかったようです。

ですが全体の4割が非正規で不登校も多発となると、そんなに問題が増えてしまう程に人間の性質は短期間で変わってしまったのか、それとも社会システムの変化なのか、それとも以前書いた医療の進歩で弱い個体が生き残れるからなのか

答えのひとつに近いのが「心の専門家はいらない」という本です。本来は社会システムを問い直すべきところが

個人の問題にすり替えられているというのがひとつの答えであり、精神病が短期間でこれだけ増えたのも、これが理由かもしれません。社会で上手くやってけない人に病名をつけてしまえばいいんです。

名前をだしてしまいますが「場末P科医のブログ」初期にも奴隷に与えられたコカの身と現代のSSRIの話のような記事があり

もしかしたら本来社会システムの歪みなことに目を反らすために「自己責任」と自ら引き受けるような作られた社会システムになっている節も一理あると思います。
(貧困大国アメリカシリーズでも貧しい人ほど自己責任だから自分は助けられるべきでないというような人が出てきた記憶がありますが、本が手元になく確認出来ません)

何も恐怖や暴力などの原始的支配をしなくても
自ら進んで低賃金で苦しい労働条件を選ばせる方法に近しい精神管理方法はあるし身近に存在しています。自己啓発分野?で売れているドラッカーの心理学もアドラー心理学もおそらくそれに近いでしょう。

親が子を看護師にさせたいのを頭ごなしに押し付けたら断りやすいし反発を覚えやすくなるかもしれませんが(子供としては押し付けられてるのが分かりやすく有り難い)

子供が泣いてる友達を慰めたり、ポケットティッシュを手渡したり利他的な行動をしたところだけ子供に「ママは嬉しい」「優しくて親切な○○を誇りに思う」「○○には人を癒す力がある」などと声をかけます。

他のことをした時はあまり反応はしません。子供は親に関心を持たれるために利他行動を繰り返した結果、自ら看護師になろうと思うかもしれません。なろうとしたきっかけを忘れてもポジティブな気持ちで動くのでおそらく病まないでしょう。

自ら看護師を選んだということで人の役に立てるのに喜びを感じながら、看護師として生きていくかもしれません。幸せかもしれないですね、料理が好きとかそういう面が出る前に選ばされたのに気づかないまま一生を終えれたら。

マジシャンが相手に選ばせたように見せかけて、カードを引かせるマジックに通じるとこがあります。

中国や旧ソ連北朝鮮などの疑似共産は見た目にも反発を覚えやすいものですが、
こういう支配し操作してるのを悟られずに自発的にポジティブに選ばせる精神管理という方法はいくらでも身近に転がっています。

危険度は境界例やBPDの対人操作の比ではないと思います。「気づかないように」ですから。