何故いま精神病やメンタル病が増えたのかトンデモ自説を展開

自然淘汰の観点から考えてみただけですが、私などは母が3年子宝に恵まれず排卵誘発剤がなければ生まれていないかもしれないほどの生命力?の卵子精子の組み合わせです。

医療の発達により本来なら出産時または妊娠中に死亡していたほどの組み合わせの人間もすくすくと成人まで成長出来る世の中になりましたが、これは果たして幸せなのか、良いことなのかと時々考えることがあります。

もし縄文時代いや江戸時代だったならば私は自然淘汰も何も排卵誘発剤服用後の子ですから、本来ならば誕生していない組み合わせの受精卵だったのです。

同じように考えて医療発達により生き延びる確率は上がったものの、本来ならば自然淘汰されたはずの免疫力や繁殖力や生命力の意味などで弱いはずの

個体が自然界いや作られた人間社会を生き抜くのは果たして安易なのでしょうか?それとも自然淘汰に逆らおうとする人間に「神の裁きのようなもの」注1】が影響し

普通の人より更に困難な人生を生きることになってしまうのでしょうか。その子は幸せに生きられるのでしょうか、産んでくれてありがとうと思うのでしょうか、それとも私のような考えに至るのでしょうか。

体裁や親の欲望のために子供が出来るまで不妊治療を続けるのは倫理的に許されるのでしょうか。注2】

始めから生まれてこれないのが決まっていたならば楽もない代わりに苦もなく、そこには「無」があるだけですが、生まれてきてしまったからには自殺はもちろんこの国では消極的安楽死さえも整っていません。

私はタラレバ話になりますが、受精卵の状態で今現在の知能や意識があるならば彼と出逢えなくなるとしても誕生を選択はしませんと堂々と言えます。

出逢うまでの16年間も、今に至る15年間を考えるとリプレイは避けたいところです。

またこれに耐えてその先に幸せがあるとお花畑綺麗事ポジティブシンキングが出来るほどの生命力も排卵誘発剤の力を借りてこの世に生を受けた私には持ち合わせていないからです。

注1】私は無神論者に近いですが、神は人間が作り出した心の拠り所で「いいことがあったら感謝し、悪いことがあったらこの程度で済んで良かったと感謝する」というスタンスが適切と認識しています。
神の裁きのようなものとはたまたま偶然の確率を人間が前後の相関を勝手に結びつけ解釈し裁きと捉える自然現象に過ぎないと思っています。

注2】判断は人類の自然淘汰の結果が分かるまで不明なままで、人間がすべきものでもないとも思っています。正しさなんて曖昧なものは立場によって簡単に変わるし、時代によって簡単に変わります。


(余談】そろそろ科学的に性別を決定するのは男性の精子の段階で決まっていて女性にも医師にもどうにも出来ないのを保険体育に取り入れたほうが良いのではないでしょうか。
世の女性側も産み分け産科に飛び付いたり、確実性のない高額医療を利用する方も居ますし。産み分け率50%って性別は基本的に2種なので1/2の確率=50%って産み分け標榜せずとも当たり前じゃないですかね。違うのかな?)