乙武洋匡の本とBPDの私が思うこと。「ふつう」の呪縛。(遺伝的脆弱性と不適切な生育環境の話)

これを読んだのは14年前の高校2年生、国語の単位クリア条件が読書感想文と判明し、バイト三昧の夏休み明けに知ってる読みやすい本をBOOK・OFFで探し手に取った。

五体不満足本編の内容はみなさんご存知と思うので飛ばす。完全版の追加部分の文章はニュース番組の1コーナーを降りることにした理由というか

そのコーナー自体が障害のある方のコーナーだったようで(私はバイト三昧で見てないし知らないけど)結局乙武さんは障害のある自分が障害のある方に関連する仕事をしているとこが

気になったような記述があったようだ。ジレンマってやつなのかな。(記憶がかなり古いのでズレがあるかも) 乙武さん自体は賢く明るい人だと思うのだが、なんだ追加部分がわかる気がする。

パッと見はわからない、むしろ第一印象だけは最強と言われるBPDという精神疾患を抱える私も
やろうとする仕事ややってきた仕事はBPDが向いてる又はそこしかないとされる看護師や水商売(看護師は見捨てられ不安が軽減される傾向、水商売は激しい感情表出や浮き沈みがあってもそれも魅力のひとつと捉える客が存在すること)
であり、「ふつう」の事務や販売、レジ係は積極的にやりたいと思えないし向いてると思えなかった(販売と事務とレジ係も経験した職業に入ってるが)

本に戻るが、乙武さんは障害があると、障害がある方関連の仕事にとなるような感じや流れや印象を他の障害がある方に与えてしまったのではと悩んだ記述が見られた記憶がある。(古い記憶なのでズレがあるが)

私は健常者という「ふつう」枠で生きたいがため障害年金や手帳は最後まで申請は考えていない。税金の世話になるのは気が引けるとかでなく

『「普通」がいいという病』でもあるのかもしれない。普通≒多数派であることは安心感があり、とても幸せなことなのも病にかかる前までの経験で知っている。

(放置子だった小4までと入浴して普通に身なりを整えるようになれた小5からは周りの反応もだいぶ違ったし、自身も自信が少し持てたため人に話し掛けることが出来るようになった)
私の中学からの友達のように「ふつう」に高校を出て、「ふつう」に正社員を3年し、「ふつう」に職場結婚し、「ふつう」に子供が産まれ、「ふつう」に小学生くらいになったので、「ふつう」にパートに出て、「ふつう」に同窓会に出席する人生

(なお私はこの唯一の友達の前では見捨てられるのが怖くて、ずっと猫かぶりで優しくて親切で物わかりのいい「ふつう」な人を演じ続けている、その診断基準にもある様なキチガイじみた努力のおかげで得た「ふつう」の友達)

こういう「ふつう」の模範みたいな子はいいなと思う。彼女は親と仲悪くてBPDの生育環境にいたにも関わらず、遺伝子的にBPD要素がないからBPDを患っていない。
(身も蓋もない精神医学の話〜寝椅子の下で不適切な生育環境は脆弱な遺伝子があって初めて問題が表出すると記載があり、アダルトチルドレンも親のせいばっかりじゃなく、不適切な生育環境と脆弱遺伝子のセットで初めて成立するんだよと。)